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エッセイ
World Eight 加藤 由香
第1章 若かりし日々
第2章 起業
第3章 多角店舗化
第4章 試練
第5章 遠くに見えてきたもの
第4章 試練
■ 無謀な計画の果ての試練 ■
カラオケも一時の勢いがなくなり、1階部分を新しく飲食店に改装する計画を立てました。
ここで私は、初めて自分がしたかった業態の飲食店(イタリアレストラン)を出店することになります。イタリアンの料理人も迎え、華々しくオープンしました。
ところが席数の多さのわりにキッチンのシステム化ができていなかったため、お客様を長時間待たせるという、大変な事態となってしまいました。
まだ郊外型のイタリアレストランが無い時代で参考に出来る店舗もなく、日を追うごとに客数は減る一方で取り返しのつかない大失敗をしでかしたのです。多額の改装費や借金を抱え、苦悩の日々が続きました。何度も本気で「死んでしまいたい」と考えた不毛の時期でした。
■ 崖っぷち ■
私は車に乗っては、近くで流行っているお店を見に出かけました。
100円均一の回転寿司はどこも大盛況でした。
「このお客様がうちのお店に来てくれないだろうか」、「何か100円で出来る飲食店はないだろうか?」回転寿司のレールは値段が高く、また鮮魚はチェーン店でないと安く仕入れることはできません。悩み続けたある日、ふと横を見ると、隣にめし屋がありました。
私は、あれならうちの店でもできるかもしれないと思いました。どうせ赤字なら、その分をお客様に喜んで食べてもらった方がいいと決心しました。そうしてでき上がったのが、日本初の寿司業態ではない100円均一の食堂でした。
■ 1通の投書から ■
「信じられないくらい安くて美味しい店があります。」
主婦の方の投書でテレビ大阪が取材に来たことをきっかけに、瞬く間に次々とTVや雑誌が取材に来てくれました。1年余りで店は大繁盛しました。
しかし、当然ながら儲かるわけはありません。本気の薄利多売。しかし、夢にまで見た繁盛店を自分の力で作ることができました。この店舗は長きに渡り、広告塔店舗として活躍してくれました。
■ 教育の難しさ ■
100円食堂は連日マスコミに取上げられ大盛況でした。お客様が入口から溢れ、店の外にまで長い列が続きました。スタッフは連日の忙しさにパニック状態でした。
また、途絶えることなく来られるお客様に対して、スタッフの慢心の心が見え始めました。
私は、お客様が来て下さることが、どんなにありがたいことなのかを毎日スタッフに話しました。お客様をもてなす心の大切さ、それを本当に理解してもらうことの難しさに苦しんだ時代でした。
■ 情けは人のためならず ■
お世話になった方から、梅田にある小さな遊休地を人に貸したいけれど、店舗の建築費の折り合いがつかず、話が流れてしまいそうだという相談がありました。
その借主がたまたま知人だったため、せっかくの話が流れてしまうのは残念に思い、全く余裕などありませんでしたが、貸主に建築費用を出資する提案をしました。
この場所をきっかけにさまざまな出会いとチャンスが生まれることになろうとは、その時は考えもしませんでした、
■ 露天販売 ■
店舗を増やさずに売上を上げることは出来ないだろうか?そう考えていた私は、仕出しの許可を取り、早朝から弁当を作り販売する計画を立てました。しかし、どこで売ればいいのか?あても経験もありません。
そこで偶然、先ほどの出資した店が梅田にあったため、ここを拠点に弁当販売を展開することにしました。
安定した個数を販売するため、まずは見本を作ってビルの中のコンビニや薬局などと契約し、卸売りを行なうことに決めました。
私とスタッフは弁当の配達が終わるとすぐに店舗の軒先に戻り、正午前から直接販売を始めました。台車に弁当を乗せて各企業さんに歩いて宅配したり、車でオフイス街に路駐して警察の方に怒られながら(すみません)販売したりと、あらゆる手段を使いました。
冬は客寄せに、簡易ガスでとん汁を炊いて売りました。売り上げを上げたい一心のなか、私には恥も外聞も無かったけれど、クリスマスソングが流れ、凍えるような寒さの中、連れて行ったスタッフには、申し訳ないという気持ちと今まで自分がどれほど恵まれた環境の中で仕事をしてこられたのかを知りました。
そうした努力が実を結び、崖っぷちからの脱出を図ることができました。
■ 鶏インフルエンザと飲酒運転 ■
やっと少し一息つけるかと思った頃、世間ではO157に鶏インフルエンザ。焼き鳥店は大打撃です。また、飲酒運転での事故が大きく取り上げられ、社会問題になっていました。
そんな時梅田に新店を出す話があり、どうせなら都心で店舗を出店してみようとチャレンジしたのが、「遊食屋」です。
お弁当販売がきっかけで、梅田には土地勘もあり、毎日通い続けたことで愛着も湧いていました。このお店はその後の将来、私と共に事業を運営していくことになる二人の優秀な人材を発掘するきっかけにもなりました。
「遊食屋」をオープンして間もなく、社会の情勢は日を追うごとに厳しくなっていきました。今までとは違い、郊外型である店舗が売上を大きく減少させていきました。
そんななか、唯一「遊食屋」だけは好調でした。しかし、1店舗で複数の店舗の業績の悪化を長く支えることなど到底できません。このままでは本当に終わってしまう・・・。
すぐに全店業態変更に取り掛かる決心をしました。
■ 怒涛の業態変更 ■
まずは鶏インフルエンザで大きくダメージを受けていた焼き鳥店を改装し、創作居酒屋に転換しました。
業績が落ち込んでいたラーメン店をうどん店に改装しました。
老朽化していたカラオケボックスと食堂は大改装し業態変更を終え、会社は管理会社へと生まれ変わりました。
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章