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エッセイ
World Eight 加藤 由香
第1章 若かりし日々
第2章 起業
第3章 多角店舗化
第4章 試練
第5章 遠くに見えてきたもの
第3章 多角店舗化
■ ラーメン修行 ■
給料もほとんど取らずに、やっと借金が返し終わる日が目前に見えた頃、隣の土地を借りないか?という話が舞い込みました。カラオケボックス自体が下火になって来ていましたので、私は悩んだ末、本格的に飲食店を始めることに決めました。
経験が全くなかったので、フランチャイズに加盟しようとさまざまな本部を調べました。土地柄も考慮した結果、ラーメン店のフランチャイズに加盟しました。
そして、またもや多額の借金を抱え込むことになってしまいました。
私は本部のある新潟で、本来は約1ヶ月の研修を受けるところを何とか半月にしてもらい、合宿所に寝泊りして直営店でのホール作業の研修を受けました。そこは合宿所とは名ばかりの事務所の片隅でした。その2週間は、畑違いの慣れない仕事で本当に長く感じられました。
しかしその甲斐もあり、晴れてオープンの日には1000人のお客様がご来店頂き、順風な飲食店をスタートさせることができました。
それからしばらくの間、忙しいラーメン店で寝食する日々が始まりました。
■ 父の死 ■
ある夜、店の営業が終わりスタッフの誕生日を店内でお祝いしていた時、私の携帯電話が鳴りました。3年程前から癌だと告知されていた父が、とうとう亡くなったという知らせでした。
実は父が亡くなる2週間前に、家族で熱海に旅行に出かけたばかりでした。
仕事は凄まじく忙しかったのですが、いつも相談にのってもらっていた以前の会社の社長さんに、「病人に明日は無いかもしれないよ」と言われて、無理矢理出かけた旅行でした。
父は少し辛そうにしていた時もありましたが、本当に喜んでくれた表情が、今でも鮮明に思い出されます。
どんなに忙しくても、もしあなたの大切な人が最期の時を迎えそうなときは、明日ではなく今日、なにかをしてあげてください。来週ではなく今週です。
私は後日、その事に気づかず、生涯後悔することになりました。
■ 震災の日 ■
父が亡くなってまもなく、あの阪神大震災の朝がやってきました。
まだ、四十九日も迎えておらず、大きな祭壇の前に灯篭が回る室内を、激しい揺れが襲いました。
いったい、どうなってしまうんだろう、そんな不安の中、テレビでも、情報が錯乱していました。
私はとりあえず、店がどうなっているのか気がかりで、すぐに車に乗り込みました。
店内は食器や物が散乱していましたが、すぐにやって来てくれたスタッフと店内を片付けて少し遅れて平常通り、オープンする事が出来ました。
前の幹線道路は大渋滞を巻き起こし、一歩も動けない人達で店内は満席になりました。
また、家路を急ぐ沢山の人々が駐車場に車を置かせてほしいと頼みに来られました。
車が動かない苛立ちから、歩いて家路に着く決心をされたのです。
この日の教訓から、お客様の為にも、お店はどんな場合でも可能な限り、営業する事が使命なのだと痛感しました。
■ 叔父の死 ■
震災をきっかけに、離れて暮らしていた母と当時中学生だった弟が、私と暮らすことになりました。
そして私にはもう一人、神戸に住む母方の叔父がおりました。神戸で生き埋めになったところを奇跡的に助けられた叔父は、父と同じ末期癌でもありました。
住む場所を失ってしまった叔父が、我が家で一緒に暮らすことになったのです。
体調の良くない叔父は、ほとんど寝たきり状態でした。ある日の朝を除いてです。
その日の叔父は、久しぶりに散髪に連れて行ってほしいと私に言いました。たぶん、体調が良かったのでしょう。私はその日も忙しく、「明日にしようよ」と言ったのです。
しかし叔父には、「明日」という日は永遠に来ることはなかったのです。
翌日から入院し、間もなくして亡くなりました。
私はあの日の朝の事を、今でも後悔しています。
本当に私には、たった1時間の時間も無かったのか?
答えは、ノーです。それが、私が今までの人生の中で後悔している、たったひとつの出来事です。
■ 焼き鳥デビュー ■
焼き鳥店をオープンして間もなく、偶然出かけた食博覧会で、長蛇の行列を作るパン屋を発見しました。持ち帰って食べると、今まで食べたことのない食感!!これは美味しい!
食パンなのに、バターの濃厚な味がする。
今では他のメーカーからも似たようなパンがたくさん出ていますが、当時ではセンセーショナルな味でした。それがご縁で、パンの販売をさせていただくことになります。
当初は、神戸方面で製造工場をしないかというお話をいただきました。
しかし、それはお断りしました。まだ一人も社員がいなくて全員アルバイトスタッフでしたから、私が現場を離れることなどできなかったのです。そのとき初めて、自分ひとりの力の限界を感じました。
パンは販売のみでしたが、朝から販売所にはお客様の長蛇の列ができ、販売開始後わずか30分で完売する日々が続きました。このブームをきっかけに、私は本部からフランチャイズ店の販売指導の依頼を受け、兵庫県内の店舗を指導することになりました。
このパンは約1年以上売れ続け、本部が次々と近くに販売拠点を広げすぎて結局ブームは終焉しましたが、今でも根強いファンの方々に支えられパンの販売を続けています。
ありがたいことです。
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章