エッセイ

World Eight 加藤 由香

ワールドエイトの加藤です。

 今年で起業して、早や15年を迎えました。 初めてお会いする方々に、「なぜ飲食店を始められたのですか?」とご質問をいただくことがよくあります。 また、起業したい方々からは飲食店についてのご相談やご質問、同性の方には「女性だから大変なことはないですか?」なんて聞かれたりもします。  そんなわけで、私の起業から現在にいたる経緯をお話しすることで何かのお役に立てればと、今回コラムにさせていただきました。 ご興味ある方は、お付き合いください。

第1章 若かりし日々

■ 変な女子学生 ■
幼少の頃より同居していた祖母は、喫茶店を経営していました。盆も正月もなく、朝から深夜まで働き、苦労している祖母の姿を見て育ちました。
そんなこともあり、兄と私は、「社会人になったら普通に休みの取れる仕事をしよう」と子供の頃から話をしていました。 しかし、私は祖母譲りのせいか、中学生の頃から自分の不用品を友達に販売したり、高校生の頃は学校の食堂が有料で空き缶を引取ってくれるのを知り、昼休みに友達とチームを作って、凄い数の空き缶を毎日拾い、食堂のおばさんを驚かせていました。
それほどお金を稼ぐのが大好きな、変な女子高生でした。
一足先に社会人になった兄が公務員になったことも影響し、私は税務署員になりたいという夢を叶えるため、税務署の国家試験を受験したのです。
■ さくら散る ■
税務署試験を受験するも見事に不合格になり、私の公務員の夢は破れました。
そして、某証券会社に入社することになります。当時は一般投資家の方が株をすることなど皆無で、一部の玄人投資家の顧客さんばかりでした。そこで、株式や債券ファンドなどを学びました。
まだ入社して間もない頃、顧客より集金した数百万円のお金を家に持ち帰るよう言われ、重圧のあまり仕事中に涙ぐんでしまったことを今も覚えています。かなり、ピュアな時代でした。 NTTの公募付近から証券花盛りの時代へと移り変わる頃で、私の親類や知人も含め、たくさんの人達が一瞬にして大きな利益を手にしました。
しかし多額の株式が毎日売買され、皆がパソコンの中の数字に一喜一憂する姿が、私にはあまり馴染めませんでした。
■ 蠍とクレーン ■
そんなとき、会社の先輩の友人が勤める会社を紹介され、転職することになりました。
その会社は、主にシンガポールやマレーシアから材木を輸入し、国内で販売する事業を行なっていました。
そこで私は、L/C、為替業務と経理業務を教えて頂きました。また週に一度、外国人講師が来て、電話での簡単なビジネス英会話を学ばせても頂きました。
材木は通常の商材と違い、輸入の際の数量と、入管後に検品し直した数量に誤差が生じることがあるので、木場で再度検品するまで実際の数量が分かりません。
しかし現場が検品前の材木を加工して販売することもあり、帳簿上の数字と現実の数字に大きな誤差が出て、いつも経理責任者と現場担当者が揉めていました。
そこで、私は何とか在庫を把握したいという欲望にかられ、そのためには自分が検品し、在庫管理をすればよいと思いました。同期の営業社員にダットサン(トラック)の運転と現場の担当者にリフト操作を習い、誰もいない早朝の木場で蠍や蜘蛛(材木の中に紛れ込んで来る)と格闘する日々が始まりました。
その頃、新日鉄の関連会社に勤務していた父が、リフトに乗れないためにリストラされるかもしれないと言うので、私は会社に頼み込んでリフトを借り、早朝から父を猛特訓したことも、今となっては数少ない父との良い思い出になりました。
■ 三足のわらじ ■
実はその当時、私は、材木会社勤務終了後に某運送会社のデータ入力の仕事、深夜にはファミリーレストランでのアルバイトを毎日こなし、三足のわらじを履いていました。人から「借金でもあるの?」と聞かれる程よく働きました。実際は借金があったわけではなく、単純に働けば働く程お金が貰える喜びに満ち溢れていた時代でした。
その頃、私は友人の勤める某リース会社によく出入りしていました。それがきっかけで、オークション会場の事業計画立案の手伝いをすることになりました。
報酬は少額だったものの、面白そうな仕事だったので引受けることにし、2度目の転職をする事になります。
■ 若かりし勘違い ■
時はバブル全盛期、20代そこそこで開発部長として入社したため、40代、50代の同僚部長からは、かなり煙たがられていました。
歳も若く物珍しさもあり、新聞や雑誌からの取材も多く受けました。これも彼らにしてみれば面白くない存在だったと思います。
まあ実際、可愛げの欠片も無かったのも事実です。
私自身、職責と年齢のギャップを埋めることに、かなり苦労した時代でした。
中小企業の会員さんからの相談に乗ることも多く、経験不足を補うためにさまざまな知識を身に付けることが必要でした。中小企業診断士の資格を目指し、夜間の専門学校に通う等、複数の資格取得にチャレンジしていたのもこの時期です。
総務、企画、システム開発、財務管理など、さまざまな分野の仕事を任され、年齢や性別に関係なく多くの機会と経験を与えて頂いたことが、今の私の大きな財産になっています。
しかし、時には大変な経験もありました。警察や国税局等の対応に、同僚部長が逃げる中(?)、若かりし私は怖いもの知らずで、どんとこい状態でした。
何でもできると自分に無限の可能性(勘違いです)を持っていた時代でした。
■ 人生の曲がり角 ■
当時オークション会場は24時間出品車両の搬入を受付けていた為に、事務局の責任者である私にも24時間体制の仕事があり、オークション開催前後は会議室で仮眠するような生活が続きました。
そしてほとんどを会社で過ごすうちに、私は無意識の中で常駐の警備員さんの24時間の業務内容を把握する事になります。
当時、オークション会場に派遣されて来られる警備員の方々はご高齢の方や風変わりな方も多く〈今は違うと思います。すみません〉、草むしりを頼んだらガソリンを撒いて消防車が駆けつけるなんていうほど、びっくりな行動を取る方もいらっしゃいました。
その為に私は、警備員さんの行動を警備しなければならないような毎日でした。
私はふと「サービス業向けに特化した若くて教育の行き届いた綺麗な女性ばかりの警備員を派遣する警備会社があれば繁盛するだろうな」と思いました。
そんな中、私が世間話のつもりで取引先の金融機関や工務店の方々に警備員の現状や、こんな警備会社があればきっと繁盛すると思うという話をすると、皆さんが一様に「起業するなら応援しますよ」とおっしゃって下さったのです。
それが今まで思いもしなかった、“自分が起業する”という事を初めて考えるきっかけとなりました。